
主催:(公財)浜松地域イノベーション推進機構、浜松市/共催:浜松商工会議所、静岡県よろず支援拠点「中小ものづくり企業のための価格転嫁実践セミナー」|開催日:2026年10月23日
「材料も人件費も上がっているのに、取引先に値上げを言い出せない…」
「原価計算ができていないから、交渉の土俵に立てない気がする…」
「もう何年も単価が変わっていない。今さらどう切り出せばいいのか…」
静岡県内で日々奮闘されている経営者の皆さん、こんなお悩みはありませんか?
2026年10月23日、浜松マリオットホテルで「中小ものづくり企業のための価格転嫁実践セミナー」が開催されました(主催:(公財)浜松地域イノベーション推進機構、浜松市/共催:浜松商工会議所、静岡県よろず支援拠点)。講師は、静岡県よろず支援拠点の稲守 伸吾コーディネーターです。
本記事では、当日の講義資料をもとに、価格交渉の準備の仕方、原価計算の始め方、そして実際に価格転嫁につながった業種別の事例をご紹介します。
今回の講師について

稲守コーディネーターは、中小企業診断士・社会保険労務士です。トヨタ自動車の1次下請けの中小企業で、原価計算・製品開発・品質管理を担当し、現場改善に携わってきました。開業後は主に製造業の事業計画づくりや、補助金・助成金、現場改善、労務管理を支援しています。よろず支援拠点では、経営改善や価格転嫁の相談を担当しています。
価格転嫁は「したかどうか」から「十分に、続けてできているか」の段階へ

講義は、価格転嫁をめぐる今の状況から始まりました。
帝国データバンクの調査(2026年7月)では、コストの上昇分をどれだけ価格に反映できたかを示す「価格転嫁率」は、中小企業で39.7%。上がった費用の4割ほどしか価格に乗せられていない計算です。
費用の種類によっても差があります。原材料費は値上がりを示す資料が手に入りやすいため、比較的転嫁が進んでいます。一方で、人件費・物流費・エネルギー費は「その費用がいくらの価格に効いているか」を示しにくく、転嫁が難しい費用です。とはいえ、人件費の上昇分を価格に乗せられなければ、事業の存続にかかわることもあり得ます。
稲守コーディネーターは、価格転嫁は「やったかどうか」を問う段階から、「必要なコストを十分に反映できたか」「環境の変化に合わせて改定を続けられるか」を問う段階に入っていると説明しました。
国も、2026年1月1日に施行された「中小受託取引適正化法(取適法)」(下請法を改正・強化した法律)や「価格交渉促進月間」などで、価格交渉の場が持たれるよう制度を整えています。ただし、取適法の対象になるかどうかは、取引の内容と、発注する側・受ける側の資本金や従業員数によって決まります。講義では、中小企業の取引の多くは対象にならない点にも注意が促されました。自社の取引が対象かどうかは、公正取引委員会の資料で確認できます。また、国が自社の代わりに値上げを実現してくれるわけではありません。最後は自社で交渉する準備が要ります。
「こんな会社はピンチ」──3つの危険サイン
講義では、価格転嫁が難しくなる会社の特徴が3つ挙げられました。
① すでに経営が厳しく、価格転嫁だけでは追いつかない
1社への売上依存が大きく、人件費の割合が業界の平均を大きく超え、賃金も最低賃金に近い。この状態では、価格転嫁だけで経営を立て直すことは難しくなります。売上に対して人件費の割合が高いのに賃金が低いのは、付加価値を生み出せていないサイン。この場合は価格転嫁の前に、経営戦略そのものを見直す必要があります。
② 見積書・契約書がない
もともとの価格が何から決まっていたのか(寸法、数量、作業内容など)が分からないと、何が上がったのかを比べられません。交渉する側も話を持っていきにくく、取引先の担当者も上司に説明できないため、話が長引きがちです。逆に、前提がはっきりしていれば「月の生産数が減ったので固定費分を見直したい」「見積りに入っていない付随作業がある」といった交渉材料が見つかります。今からでも、価格の決め方が分かる書類を残しておくことが大切です。
③ 長い間、価格交渉をしていない
値上げ幅が大きくなるほど、交渉は難しくなります。そこで、「今の物価上昇分」と「これまでの物価上昇分」を分けて交渉する2段構えが紹介されました。たとえば、今の上昇分は毎年の改定で、これまでの分は数年かけて改定する、という進め方です。1年でも早く、定期的に価格交渉をする習慣を取引先との間につくることが勧められました。
原価計算ができていなくても、交渉は始められる
印象的だったのが、「価格交渉そのものは、原価計算ができていなくても始められる」という話です。
物価がどれだけ上がったかが分かれば、交渉の根拠になります。たとえば、2020年から価格を変えていない500円の部品で、材料費が2020年の1.5倍になっていれば、希望価格は500円×1.5=750円、という考え方です。これは交渉のきっかけをつかむための簡単な例で、実際の希望価格は、材料費・人件費・光熱費などが価格に占める割合を踏まえて考えます。
取引先の担当者が原価計算を求めてくることもありますが、相手が自社の製造工程や決算書を細かく分かっているとは限りません。原価計算は「価格を決めるときの要素の一つ」と考え、まずは交渉の場を持つことを優先しましょう。
価格交渉の準備:そろえておきたい資料
前提は「自社努力」を見せること
交渉では、「私たちもここまで経営努力をしてきたが、近年の物価上昇や最低賃金の上昇には対応しきれない」と伝えることが欠かせません。現場の改善事例を一つでも作り、品質管理で使うグラフや図表などで、改善の結果を見える形にして示すのがポイントです。「改善なくして、価格転嫁なし」という言葉が印象的でした。
交渉資料のチェックリスト
講義で紹介された資料を、自社で確認できる形にまとめました。
| # | 資料 | 中身と集め方 |
|---|---|---|
| 1 | かがみ(表紙) | 交渉資料の表紙。申し入れの趣旨をまとめる |
| 2 | 原材料価格の推移 | 埼玉県が公開している「価格交渉支援ツール」(日本銀行の公表データをもとに、原材料価格の推移を表計算ソフトで簡単に資料化できる)や「価格交渉ハンドブック」の統計データを使う |
| 3 | 仕入先からの見積書 | 仕入先から文書で受け取り、そのまま取引先に添付する。「いつから上がったか」がポイント |
| 4 | エネルギー費の推移 | 電気料金の単価などを公的なデータから引用し、グラフで見せる |
| 5 | 賃上げの状況 | 最低賃金の推移や賃上げ率など、公的なデータで示す。最も転嫁が難しい費用 |
| 6 | 法改正などによる費用増 | 社会保険・雇用保険の適用拡大など、これから増える費用を記載し、今後の転嫁をお願いする意思を示す |
| 7 | 製品別の原価計算の結果 | 社内の機密に配慮しながら、価格改定の根拠となる範囲の数字を示す |
自社の見解ではなく、客観的なデータで示すことが説得力につながります。手間はかかっても、公的なデータはすべてそろえる。これが稲守コーディネーターの勧める準備です。
提示価格は「落としどころ」から逆算する
満額で通ることは、基本的にはありません。取引先の顔を立てられるよう、2つの数字を事前に決めておきます。
- 要求値:根拠を説明できる数字の中で、いちばん高い水準
- 落としどころ:今回の交渉で最低限ここまでは、というライン(例:事前に見極めた黒字になるライン)
1回で勝負を決めようとせず、長い付き合いを前提に関係を築くことも強調されました。
過去の上昇分と、直近の上昇分を分けて価格に反映する
- 過去5年〜数十年分の上昇:金額が大きいので、交渉が難しければ3〜5年かけて少しずつ転嫁する
- 直近の上昇(人件費など):金額が大きくならないうちに、すぐ交渉する。最低賃金が上がったら翌月から反映する、といった取り決めも一案
見積書に入っていない作業を洗い出す
費用がかかっているのに見積書に入っていない作業は、そのまま交渉材料になります。
- 製造業:社長自ら行っている納品作業、小ロット化で増えた段取り
- 運送業:荷待ちの時間、荷下ろしの作業
- 専門サービス業:取引につながるからと無料にしている調査・設計
人手や費用がかかる作業は、契約書・見積書に反映させましょう。
交渉の「時期」と「相手」
取引先の予算が固まってしまうと、値上げを受け入れたくても受け入れられません。講義では、予算を組む時期(目安は1〜3月)に落としどころが決まれば、予算に反映してもらいやすく、社内の稟議も通りやすいと説明されました。半年ほどの期間で考えておくのが目安です。また、担当者に決める権限がないことも多いため、決裁権を持つ人といかに早く直接話せるかも大切だと説明されました。
原価計算は「まず出してみる」ところから
価格交渉を続けていくには、やはり原価計算が欠かせません。ただし講義では、「精度は求めるが、それを業務にしない」と、精度を追い求めすぎないことが強調されました。
出発点は月次の試算表
毎月の経営状況をつかむため、月次の試算表を作ることから始めます。毎月、記憶が新しいうちに数字を見て、収益が肌感覚と合っているかを確かめる。試算表の数字は、原価計算の材料にもなります。
時間チャージで原価をつかむ
製造業の原価は、次の式で考えるのが基本です。
原価 = 時間チャージ(1時間あたりの費用)× 必要な時間
時間チャージは、人にかかる費用(マンレート)と機械にかかる費用(マシンレート)に分けて考えます。
- マンレート:正社員・派遣・パートなどの人件費を総労働時間で割り、稼働率なども考慮して出す。現場の作業者、管理者、間接部門など、どこまでを入れるかを先に決める
- マシンレート:機械の費用(減価償却費・修繕費・光熱費など)を稼働時間で割り、稼働率・可動率や機械の台数・ラインの組み方も考慮して出す
ここで注意したいのが、機械が実際に動いた割合(稼働率)や、動かしたいときに正常に動ける割合(可動率)を把握できていない会社が非常に多いことです。また価格交渉では、減価償却費ではなく、同じ性能の設備を今買うといくらかかるかをもとにレートを考えることが勧められました。時間チャージは「実際の原価より低くならないように」出すのが最低限の考え方です。
原価計算から価格交渉までの6ステップ
- 今あるデータを把握する(どこにどんなデータがあるか。業務の流れの見直しにもつながる)
- 原価計算の式をまとめる(現場・現物・現実の「三現主義」で作業を把握する。最初から完璧を求めず、計算できる精度から始める)
- 帳票を整える(作業者が記入しやすい様式にし、目標値も書いておく)
- データを取る(手書きの記録をExcelにしたりグラフにしたりは、AIを使えば簡単になった)
- 原価を出す(まず出して分析し、精度アップと仕組み化は並行して)
- 価格転嫁の案をまとめる(着地点を決め、根拠となるデータをそろえる)
「習熟して作業が速くなる分、単価は下げられるはず」と言われることもあります。講義では、作業に慣れて下がる原価の割合よりも、昨今の物価上昇の割合のほうが大きいと説明されました。
業種別の成功事例
講義では、価格転嫁に取り組んだ事例が業種ごとに紹介されました(金額は省き、率のみ掲載しています)。
| 業種 | 出発点 | 取り組み | 結果 |
|---|---|---|---|
| 製造業(精密板金) | 見積りの出し方も、妥当な価格も分からない | 同業他社の見積りの出し方を参考に、原価を比較 | 今年度2回の価格改定で単価15%アップ。材料の相見積りで材料費の比率も低減 |
| 製造業(切削) | 数十年価格を改定していない | 同業他社への相見積りで、自社の価格が低くないことを確認。財務状況を分析 | 金融機関の後押しも得て、全品番の単価22%アップ |
| 製造業(金属プレス) | 納品にかかる人件費・燃料費が見積りにない(社長が対応) | 取引先別の原価を一覧にし、見積書に一般管理費を計上 | 運送費の転嫁に成功。材料の支給方法も見直し |
| 製造業(木材加工) | ウッドショックの値上がり分が未転嫁 | 作業時間の測定から原価計算。公的なデータで主な材料の値上がり率を把握 | ウッドショック分(30%)の転嫁で黒字化のめど(交渉継続中)。定期的な価格交渉の場も確保 |
| 機械等修理業 | 作業時間の記録も、原価の資料もない | 契約書を整え、休日対応の割増料金を明記。勤務の組み方も見直し | 休日割増15%、販管費・輸送費の計上で10%の上乗せ。時間外・休日労働は半減 |
| 運送業(遠距離) | 「価格転嫁なんてできるわけがない」 | 取引先別に原価を計算し、交渉する順番を決めた。金融機関と資料を作り、決裁者と交渉 | 近距離便15%・遠距離便7%の値上げ。その後の段階的な改定も決まった |
| 請負業 | 10年間価格転嫁できていない | 事業所別の原価計算。最低賃金がこの10年で36%上がったことを公的資料で確認 | 全事業所で10%アップ。過去の上昇分は5年で30%の転嫁 |
| 卸売(仕分け作業) | 残業・深夜の手当が多い | 作業時間の基準を取り、マニュアルで人による差をなくす | 改善の結果を持って交渉し、約10%アップ |
| サービス業(清掃) | 創業から半世紀ほぼ値上げしていない | 取引先を分析し、上位5社と交渉。見積りの算出根拠を明確に | 1社を除き価格転嫁に成功 |
価格交渉の権限そのものを持ちにくい業種には、別の道も紹介されました。
- 製茶業:価格は相場で決まり、交渉の場にも立ち会えない。そこで、すでに持っていた「かぶせ茶」の技術を生かし、碾茶(抹茶の原料)の製造に乗り出した。収益性の高い商品を選んで売れるようになり、価格の主導権を持てるようになった
- 接骨院など:保険が適用される分の料金は自社で決めにくく、改定も数年に1度で、最低賃金の上昇に追いつかない。サービスごとの原価を計算し、収益性の高い保険外のサービスを広げた
- 飲食業(大衆食堂):「松竹梅」のメニューを開発し、通信販売(冷凍弁当)や団体注文にも力を入れた。通信販売・団体注文が広がり、客単価もおよそ1.4倍になった
中長期の競争力:強みをお金に換える
最後は、価格転嫁を一度きりで終わらせないための話です。
SWOT分析で自社の強み・弱み、外部の機会・脅威を整理し、「その強みは取引先に付加価値として認めてもらえるか」「取引先や同業他社が簡単にまねできるか」を確かめます。たとえば製造業の小ロット・短納期、建設業の素早い対応などです。強みをお金に換えていく。付加価値が価格に反映されにくい取引については、採算や今後の取引方針を見直すことも必要だといいます。
また、これから増える費用として、パート・アルバイトの社会保険の適用拡大や、2028年10月から週10時間以上働く人が対象になる雇用保険の適用拡大が挙げられました。特に社会保険は、1人加入するだけでも会社の負担が大きく増えるため、価格転嫁が欠かせない費用です。あわせて、賃上げと生産性向上に使える業務改善助成金や、働き方改革推進支援センターの無料の専門家派遣など、使える制度は使う視点を持つことも勧められました。
まとめ
講義の最後に、稲守コーディネーターは要点を次のようにまとめました。
- 信頼できる公的データを用意する
- 継続して価格交渉できる場を確保する
- 交渉の相手と時期を考え、落としどころを見極める
- 原価計算は、月次の試算表を作るところから。まずは出してみる
- 精度を求めすぎない。原価計算を業務にしない
価格転嫁は、完璧な原価計算ができてから始めるものではありません。まず値上がりの事実を公的なデータで示し、交渉の場を持つ。そのうえで、原価計算の仕組みを少しずつ育てていく。この順番なら、今日からでも一歩目を踏み出せます。
一人で悩まず、ぜひご相談ください
「自分の投稿だと、どこを直せばいいのか一緒に見てほしい」「伝えたいことが言葉にならない」──そう感じたら、静岡県よろず支援拠点をご活用ください。
今回のセミナーでやった「持ってきた1枚を一緒に直す」は、まさに相談窓口でいつも行っていることです。経験豊富な専門コーディネーターが、何度でも無料であなたの経営相談に対応します。一人で抱え込まず、まずはお気軽にどうぞ。


